「忙殺される」というのはよく聞く言葉だ。
忙しさとは文字の通り「心を亡くして」人を殺す。
だが、「暇」というものも存外人を殺すに十分な代物だ。
忙しさが積み重なるあれやこれやで人を切羽詰らせ心身を疲弊させるなら、
暇は何もない空虚の時間で静かに心身を疲弊させる。
「真綿で首を絞められる」というものが最も近い言葉だろう。知らず知らず、
空白を押し付け暇とやらは人の縛り付けるのだ。
その厄介なことは何かというならば、忙しさと真逆に本当に”何もない”ことだ。
時間がただただ過ぎていくことが辛いのではない。「何もない」時間が辛い。
以前の部署では、時折とはいえ深夜残業もあった。
複数の依頼を同時進行することもあった。
次から次へと仕事を増やされることもあった。
それが今や常駐の仕事は月末月初の一握り。あとは突発で入る仕事が主になる。
今思えば、「仕事が忙しい」というのは適度であれば幸せなことだったのだと思う。
もちろん度が過ぎれば腹が立つ。気分が滅入る。
だが、この何もない平和で「暇」な日常というものに比べればマシだったのだと思える。
仕事に対するストレスは以前に比べてぐっと減った。
5時の終業を迎えればさっさと帰れる。
けれど、朝PCをつけてから17時のチャイムがなるまでの間が、最近少し苦痛だ。
何か思いついて取り掛かっていればいい。
ネットワークドライブの清掃をしていれば色々と注意しなければならないので
多くなれば1日が潰せる。
だが、やりたいことが、やることが納まるとまたふっと暇が顔を出す。
次は何をしようとプログラムをいじったりネットを漁ったり。
普段食事を取るのもままならない、睡眠もろくに取れない。
そんな人達から比べれば、いや、それ以外の普通の仕事をしている人と比べても、
私はそれはそれは幸せな環境だろう。それは自覚しているし、貴重なものだと思っている。
けれど、欲を言うならこれが「当然」になる前に、もっと仕事が欲しい。
「暇」とやらが気の合う友人になってしまう前に、もっと仕事が欲しい。
さて、明日もまた戦いだろうか。
優しく穏やかな「暇」殿に、殺されないようにするための。
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