通夜ではかなり久々に母方の親戚に会いました。
母の兄弟と、その子供たち(つまり私のいとこ達)が
ほとんど全員揃いました。
海外にいる伯母家族は残念ながら来られませんでしたが。
他にも、親戚や私たちの同級生の親御さん方、
父の友人、ご近所さん、店をやっていた時代に
交流のあった方々。
たくさんの方が来てくださり、入り口で挨拶を
していた私たちに涙ながら声をかけてくださいました。
そんな中私が一番ほっとしたのは中学時代の
友人たちが来た時でした。
「あれ風亜の友達じゃね?」と父に言われて
見た先にいたのは確かに友人たち。
恥ずかしながら、顔を見た瞬間何故か凄く
泣きそうになりました。
気心知れているので気が緩んだのかもしれません。
彼女たちは式が終わって食事をとった後も
最後までいて話に付き合ってくれました。
みんなありがとう(´Д`。)
葬式には通夜の時ほど人は来ませんでしたが、
泣いてくださる方々ばかりでありがたかったです。
今回私は出棺の挨拶をすることになっていまして、
母の病状やら何やらを話すことになりました。
最後の最後に話したのは参列者の皆さんに
対してではなくて母に対して。
喋ることは頭に決めていたけど、いざ喋ると、
ちゃんと喋れましたけど涙が溢れましたね。
火葬場で骨になって出てきた母は結構
しっかり残っていて、けどやっぱり、それが
母だと認識するのは難しかったです。
その日は何だかんだで午後まで親戚の相手をし、
夜は精進落としの余りもので夕飯でした。
次の日からは母の遺品整理やそれに伴う片づけなどを
行い、結局私は母が亡くなってから丸一週間を
休んだことになります。
木曜日に出社して何に一番驚いたって、
部署所有のテント倉庫が雪のせいで
壊れていたことですね。
テントって言っても結構頑丈な作りなのに。
最初は屋根が落ちただけのようですが、中の物を
運び出しているうちに倒壊したそうです。
木曜日の日中から金曜日にかけては震災の跡地
みたいになっていました。
それにしても、最初の頃は落ち着いていたのに、
時間が経つごとに母がいないのが実感として
湧いてきて、段々寂しさがこみ上げてきますね。
ふとした瞬間に「これは母さんが~」と思うと、
「あ、いないんだ」とすぐに打消しをしなくては
いけないのが何とも……。
私は毎日母と話していたので、木曜日に
仏壇の前で同じように喋ってみました。
……ええまあ、空しいですね。
何の返事ももらえないって本当にどうしようもない。
そんな私の新たな宝物は携帯に残された留守電です。
たった5秒で、私の名前なんて一言も入ってない
ただの伝言。だけど、たった一つ残った母さんの声です。
……うーむ、何と言いますか、やっぱり切ないですね。
私はもうこのたった5秒の中でしか母さんの声を
聞けないんだなー、と思うと。
とりあえずまたしばらくは携帯変えられない。
多分留守電までは移してくれないだろうし。
さて、こんなところで本日は終わっておきましょう。
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