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『軟弱な! ええい、今日こそ叩きなおしてやる! 止まれ!!』
『いぃーやぁーだぁぁぁ! 君のお説教長いんだもんんんん』
そこでぶつりと放送は切れた。ぼくはいきなり鳴り出したスピーカーに向けていた目線を下ろし、
止めていた手を再度動かし始める。
(……ぼくと同じくらいの年なのにしっかりした子だ)
草の根元を掴みぐっと力を込めて引き抜く。短い根の雑草は土と共に表に顔を出した。
今放送で職務怠慢な時計番を追い回していた少年はチャーリー・ミルトン。この風吹く宮に家族で住んでいて、母は食堂担当者。父は庭師。上の兄弟たちもそれぞれ仕事についている。彼もその内ここで仕事に就くだろう。外に行くという選択肢もあるが、彼はすでにここで働く気でいる。
彼とはじめて会ったのはここに来てすぐのこと。挨拶をされて名乗られたけどぼくには名乗る名がなくて、そう言うと彼は「そうか」とだけ言った。そしてそれからも、避けることなく、かといってあからさまな気遣いもせずにぼくに話しかけてくる。
『名前貰ったらすぐに教えろ』
彼はたまにそう言う。ぼくはそのたびに目を伏せてあいまいに笑って済ませた。彼は怒らなかったけど、その度に何か言いたげではあった気がする。
名前。自身を表すもっとも単純で、もっとも確かなもの。
ぼくはそれを貰わなかった。妹もそれを貰わなかった。"お父さん"も"お母さん"も、ぼくたちを"いてもいない"存在として扱った。最初は辛かったけど、もう慣れた。ただ妹が無視されるのは辛かった。
役に立たないとぶたれるけど、ぼくがぶたれるのは大丈夫。ぼくは我慢できる。
でも妹もぶたれるから頑張った。あの子が笑っていてくれるからぼくも頑張れるんだ。
役に立たなくちゃいけない。役に立たないとまた――――。
「坊主」
不意に声をかけられてぼくはびくっとする。そしてすぐに声のした方に顔を向けた。ぼくの隣にしゃがみこんでいたのは布を頭に巻き口ひげを蓄えた灰色髪のおじさん。チャーリーのお父さんでこの庭の主であるバートさんだ。
「何ですか?」
仕事中にバートさんが声をかけてくるなんて珍しい。寡黙なこの人は仕事中更に寡黙になり余計なことは一切喋らずに仕事に熱中する。
問いかけると、バートさんは太い指ですっとぼくの手元を示した。
「そいつは植えてる花だ」
言われてぼくははっとする。考え事をしていたせいで気が付けば足元の雑草どころか植えてあった花までむしりとってしまっていた。
事態に気付いてぼくは全身に冷や水をかけられた気分になる。謝ろうとしているのに言葉が出てこなくて、喉は凍ってしまったかと思った。それでもなんとかバートさんを見上げてその目を見てから頭を深く下げる。
「申し訳ありませんでした! すぐに埋め直します!」
「そんな簡単じゃねぇ。ただ戻しゃいいってもんじゃないんだぞ」
言いながらバートさんは大きな手を放り出された花へと伸ばした。ぼくは反射的に立ち上がりその場を譲る。黙々と丁寧に花を埋め直す大きな背中をぼくは見ているしか出来なかった。その間も心臓は早鐘を打つ。頭に浮かぶのは「失敗」と「どうしよう」という不安ばかり。
その不安は、バートさんが花を埋め終わって立ち上がる頃になっても治まらなかった。振り返ってバートさんはぼくを見下ろす。何か言わなくてはと思うが、唇は絡まりを続けて言葉を紡ぎだしはしなかった。
バートさんはそんなぼくを黙々と見つめる。ややあって、豊かな灰色のひげが揺れた。
「坊主、今日はもういいから休んでこい」
「え?」
「いいな? 休め。そうじゃないならマスターのところに行ってこい」
言下にそこから離れていくバートさんの背中は「反論無用」と言外に語っているようだ。ぼくは何も言えずに呆然とそこに立ち尽くす。
休むか、マスターの所に行け。
どういう意味かと考えるぼくの思考はただただ暗い方向へと下っていった。言い訳を考えるが、下手に言い訳することも怖くて足が震えだす。とにかくここにいると今度こそ本当に怒られるかもしれない。ぼくは重い足取りで庭から出て行くことにした。
そしてそろそろ庭も終わりという所で、ふと"あるもの"に気が付く。いつもなら気にしないだろうそれは、今のぼくには救いに見えた。
そうだ、"あれ"をどうにかすればさっきの失敗も取り戻せるかもしれない。
ぼくはそんなことを考えて、それに近付く。少しの危険くらい、きっと大丈夫――――。