こんばんは若槻です。今年始まってもう8ヶ月も経ってるとか
信じられません。あの震災からもう5ヶ月も経つんですね……。
そんな光陰矢の如しを身に沁みて感じつつ、応募用の作品の
下書きがまだ序盤という事態にびっくりしている今日この頃です。
あれおかしいなぁ、当初の計画だと今ぐらいにはもう第1稿が
完成しているはずだったのに((
さて、それはさておき今日はちょっととあるネットニュースの記事を
見て思ったことをつらつらと。
若槻はリアルタイムで観てませんしもう前の話なので番組名とか
詳細は語りませんが、思ったことだけ。
一応隠します。
サイト拍手含め、拍手くださった方々、ありがとうございました!
(そういえば最近たまに1日で30人以上のご訪問をいただくことが
あります。え、な、何事でしょう? いえ、嬉しいんですけど不思議で*2)
[3回]
まず最初に言っておきますと、若槻はあんまりテレビ観ません。
自分で観たいと思ってテレビの前に座ることなんて稀です。
誰かが観ているものをついつい観てしまうということは
よくありますが、まあ、そんなところです。
でも、最近ちょっと目に付くものがあります。
それは、お笑い芸人に対する扱い。
もちろんそういう"いじられ"が彼らにとってはおいしいことで
むしろ「ありがとうございます!」っていうことなのは
分かるのですが、それでも限度があると思います。
あれこれあるでしょうが、一番大事なことは
「視聴者が不快にならないこと」
に、尽きるのではないでしょうか。
「コントだ」と言い張るのも「冗談だ」と言い張るのも結構。
恐らく彼らにとってはその言葉通りでしょう。
けど、視聴者が不快に思った、たとえば「これはいじめだ」と
思うようなものを「コント」として、"面白いもの・こと"として
放送するのはいいことなんでしょうか。
これがまかり通るのならば若槻が心配なのはテレビの
影響を受けやすい小中学生の子達です。
みんなでひとりにボールをぶつけまくっても「コントです」
「ふざけてるだけです」で許される言い訳を作ってしまって
いるのではないでしょうか。
"楽しいものを作る"というのはテレビ人のなさんとするところでしょう。
それはいいことだし、一視聴者としては応援したいところです。
でも、それが誰かが傷付いたり痛い思いしたり人に迷惑をかけたり
なんていう結論だったら馬鹿なことだと思います。
努力は必要です。その間に苦しいことはあるでしょう。
けどそれはいわゆる「生みの苦しみ」。味わって然るべきです。
ですがそれは、誰かに犠牲を求めるものではないはずです。
"エンターテインメント"とは、果たして誰かの過剰な痛みの上に
成り立つべきものなのでしょうか。
PR