こんばんは若槻です。まだちょろちょろと余震が続いており
少し長いとその度にびくびくしています。
さて、本日はそんな義務もないですが昨日から今日にかけての
地震状況をまとめていきたいと思います。
・03/11.14:40~50頃:【地震発生】
この時点で若槻は会社にいました。
最初は小さな揺れで、みんなの反応もいつものように
「あ、地震だ」という程度でした。
しかし、少しもせずに揺れは徐々に大きくなり、フロアにいた面々は
机の下に避難していきます。
そして、大きめだと思っていたものをさらに凌ぐ地震が来ると
フロア中に女性社員の悲鳴が響きました。
若槻は平静を装いつつ心の中で大騒ぎ……。
ここで最初の驚くべきことが起こりました。
分かったのは机から出てからでしたが……。
若槻の課は、
サーバールーム
----------------
先輩→□□←課長
若槻→□□←同期
という配置なんですが、課長の斜め後ろには大きな機械があります。
なんと、この地震でその機械が課長に向かって倒れてきたのです。
奇跡的に課長は隠れる直前に背後を見て、それが倒れてくるのを
見たので慌てて先輩の机の下に避難場所を移し、難を逃れたそうです。
※ちなみに先輩はサーバールームに入っていて机は空いていました。
さて、地震が収まり徐々に皆さん机から出て行きます。
そうして周りを見渡せばこれでもかというほどにひどい状況。
まるでフロア内を台風が通過したかのような光景でした。
そして、安全担当の部課の人たちが今の内に退避するようにとの
声をかけて回っていたので全員外に避難することになりました。
この時その安全担当の人たちが「壁壊れてるから……」という類のことを
話していて、まさかと思っておりました。
が、いざ階段へ行くとその言葉の通りの惨状でした。
壁は崩れ落ち正に被災地といった様相。
(昨日も書きましたが実際の震源地よりはよっぽどマシですが)
さて瓦礫の通路と階段を過ぎて外に出ると、工場の人たちや
運送の人たちなども一斉に外に出てきていました。
その状況に「この会社こんなに人いたんだ」と関係ないことまで
考えてしまいました。
自分の安全が一応確保されれば、次に人が考えることはどなたも同じ。
みなさん携帯を持っている方々は次々に家族へと電話をかけたり
地震の状況を確認したりしていました。
しかし皆さん考えることは同じなため、電話は混雑してしまい中々
ご家族と連絡が取れないようでした。
・03/11.16:00頃:【帰還命令発令】
さて、「余震が治まるまでは外で待機」という指示のままに
約1時間ほどが経過しました。
次から次へと余震が続くので誰も中に入れず作業も出来ない。
そんな状況が続いたためか、2度目の管理職の話し合いで
一同に一斉帰還命令が出されました。
終業から1時間ほど前のことです。
ちなみに若槻は最初の方に建物自体は出られて車まで
たどりつけていたのですが、本日は駐車整備の人に変なところに
停めさせられたので結局結構長い間駐車場で待機させられて
しまいました。
とりあえずこの待ち時間を利用して家族の安否の確認をしました。
全員(離れて暮らす祖父や猫たちも含め)無事、ということです。
そしてようやく道に出られました。が、やはり問題が。
すでに会社で注意は受けていたのですが、地域一帯が停電したため
信号すらも作動していない状況だったのです。
若槻は会社から程近い場所に家があるのでそれほど大変な
思いはしなかったのですが、やはり次はどこの車が行くのかなと
ひやひやしながらの運転となりました。
ちなみにこの時ほわっとしたのですが、中々この地域の皆さんは
譲り合い精神があるようです。
運転中何度も「お先にどうぞ」のやりとりがありました。
おかげで周囲で事故の報告は聞いていません。
若干名お馬鹿な人たちもいましたが、そういう人たちは無視で。
・03/11.16:30~17:00頃:【帰還】
家に帰るとちょうど母が玄関の片付けをしていました。
私が帰った時には普通に入れましたが、母が帰ってきた時は
とてもじゃないけれど入れるような状態じゃなかったそうです。
若槻が片付けるように言われたのはまず廊下でした。
部屋に入りきらない本が廊下に出ているのですが、それが散乱して
しまっていたのです。
しかし部屋を見るとさらにひどい有様。
本棚から本はこぼれ押入れのものは飛び出し机がくずれて
本当に見れたものじゃありませんでした。
とりあえず自分の部屋の入り口付近の本を片付け、
続いて廊下の片付け。
この時点で辺りは暗くなってきており、やや鳥目なので
それ以上の作業は不可能でした。
なので、近くのコンビニに食べ物や飲みものが何かないかと
買出しに行きました。この時点ですでに停電・断水の可能性が
非常に高いという情報は入っていたのです。
そして実際にコンビニに行くと、暗い店内に人がひしめいていました。
「やっているんだ」と感心しつつも店内に入り商品を物色しますが、
見事に食べ物は全滅。仕方ないので飲み物を家族分確保して帰りました。
ここで軽く奇跡だったのですが、実は若槻このコンビニに入れた
ぎりぎりの1人なのです。
「復旧作業がしたいのでこれ以上の入店はお断りさせて
いただいております」
若槻より後の方々こう言われていたのでひやひやしました。
・03/11.それ以降:【停電と断水の中で】
夜になり、母が作ってくれたおにぎりやらインスタントラーメンやらを
ろうそくで明かりを灯しつつ食べました。
※我が家の救い※
・電気のいらないストーブがある(灯油もばっちり)
・飲食店経営のためご飯もあった
・ろうそくは店に大量にあった
・ガスは孤立しているため火も使えた
・ライト多数
・ラジオあり
……防災グッズ的なものを何も用意していなかったにも
関わらず意外と救いが多かったことに今頃気付いた若槻です。
この後一度別地区まで何か食べ物はないかと探しに出たのですが、
結局どこも何もなく、やはりコンビニで飲み物だけを確保してきました。
後は起きていても仕方ないので就寝です。
・03/12.朝~昼:【残りの片付け開始】
ここは面白みもないので大幅カットですが、とりあえず昨日断念した
部屋の奥側の片付け&ちょうどいいので模様替えをしていました。
明るいうちに行動しようと思うと早かったですね。
ちなみにこの頃に父と兄が買い物に行って色々と仕入れて帰ってきました。
・03/12.12時終わり頃:【電気復旧】
部屋の掃除(&模様替え)が続く中、ふっと振り返ると
PCの外付けスピーカーに明かりが灯っているのが見えました。
最初はポカンとしてしまい状況が飲めませんでしたが、
すぐにはっとして部屋の電気を点けてみるときちんと点灯。
電気復旧です。
・03/12.16:00頃:【水道復旧の兆し】
地震から24時間以上が経過したこの頃にちょろちょろとですが
水が出るようになりました。
・03/12.17:00頃【水道完全復旧までもう少し】
この頃には随分出るようになって来ました。
・03/12.18:00頃:【水道復旧】
ただし時間制限があるそうです。翌日の朝まで……でしょうかね。
とりあえずそれまでにお風呂に入りたいなぁと思います(-ω-;)
若槻は関東在住ですが、このたびはじめて災害時の恐怖というものを
味わった気がします。
もちろん、実際の被災地に比べたらまだまだ甘い状況ですし、
確実に恵まれていたことでしょう。
ですが、「怖い」や「大変」はそれでも分かることができました。
各地で避難所生活を余儀なくされている方々、救助を待っている方々。
皆さまのそんな思いが早々に取り払われ、平穏が1日も早く訪れることを
お祈りしております。
ところで、人(特に日本人)って無宗教でもいざって言う時に
神様に祈りますよね。
若槻も無宗教に関わらず一番ひどい揺れのときに確かに
「神様ー!」って思っていました。
ただ、終わった後に驚いたのは、神様の次に若槻が反射的に
縋ったのはこの子でした。
素で。
本気で、「謝!」って思ってました。
口にこそ出しませんでしたけど確実に神様に縋るよりも
長い時間思い浮かべてました。
今となってはなんとなく笑えてしまう事実で、思い出すと
やっぱり頬が緩みます。
こんなに近くになってたんだなーと嬉しかったりなんだったり(´∀`*)
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後ほど追記します続きより。
ご心配くださった皆様、誠にありがとうございました!
おかげさまで無事でございます!!
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