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強くて弱くて、弱くて強い。
とんでもない泣き虫で、兄が側にいないと駄目だった少女。彼女は大きくなるにつれて明るくなり、選んだ職は〝家〟を離れることの多い外交官だった。
本当に大丈夫かと心配する兄に、彼女は「大丈夫ですよぉ」と笑っていた。そしてその言葉通り、彼女は立派にその仕事をこなしている。
そんな彼女は、年に一度、あるかないかの頻度で、昔の彼女に逆戻りする――。
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晴れた秋空から注がれる光を弾く白亜の宮――風吹く宮。その入り口では、いつものスーツを脱ぎ私服に身を包んだ管理代行人の謝と、その妹で外交官である好が顔を合わせていた。
「それでは私は行って来ますが、その間宮の管理をお願いしますね」
普段滅多に宮の外に出ることのない謝は、本日珍しく外出する。子供の頃から世話になっている老人の元に顔を見せに行くのだ。好は以前仕事帰りに顔を見せたので、本日はお留守番である。
「はい。ちゃーんとお留守番してるので、ゆっくり羽を伸ばしてきてくださいねにーに」
明るい笑顔で返事をすると、好は管理の一時権限を付与された証である印が刻まれた右手の甲を兄に向け、ぐっと握り締めた。やる気十分の好に謝は微笑みかける。
「そうですね。では、お言葉に甘えてくるとしましょう。何かあったら他の人を頼るんですよ。どうしても駄目なら連絡を入れてください。すぐに戻ってきます。それと――」
「もー、にーにってば。大丈夫ですってば。ほら、遅くなっちゃいますよ。いってらっしゃい、気をつけてくださいね」
次から次に注意事項が出てくる兄の背中を押し、好は笑ったまま彼を歩かせた。謝も心配が過ぎたかと思いなおし、もう一度微笑んで今度こそ歩き出す。
遠くなる背に手を振って見送ってから、好は変わらない笑顔のまま身を翻し、宮の中へと戻っていった。
深夜12時。本日最後の見回りを済ませたチャーリーは、数時間前から姿の見えない少女を探して庭の一角に訪れていた。そこはよくチャーリーがトレーニングをする場所で、彼女も宮にいる時は大体毎日そこに来る。
いない時はほとんど確実に誰かと共にいる彼女が誰ともいずに姿を見せない。そんな時にチャーリーが探しに来るのはここだけだ。彼女の兄でチャーリーの親友でもある青年はこのことを知らないだろう。彼がいる時は、彼女は決してここに〝逃げ込まない〟。
父である庭師のバートが美しく剪定した低い植木を回り込むと、闇夜の向こうから風を切る鋭い音がした。連続して聞こえてくるその音と、月明かりに照らされた姿を見つけ、チャーリーは予想通りの行動に対しため息を吐く。そして
「そこっ、今何時だと思っている!」
風紀係らしい一声を発すると、ほぼ無我の境地で練武に打ち込んでいた少女は驚いた悲鳴を上げた。途端に彼女は膝をつき、手にしていたトンファーが地面に転がっていく。
チャーリーは彼女に近付き、汗まみれの顔を見下ろした。
「いないと思ったら、やっぱりここか。いつからここにいるんだ好?」
問いかければ、少女――好は弾む息で空を見上げる。月と星が輝くものの、真っ暗な空を見てその表情は意外そうなものへと変わった。
「ええと――5時過ぎくらいですかね」
「……夕飯にも来ないで。もう12時だぞ」
7時間も続けていたのか。チャーリーが呆れると、当の本人もそんなに時間が経っていたことに驚き「ええっ」と声を上げる。
「あー、道理で足がガクガクなわけですねぇ」
力なく笑って好は今にも倒れそうに両手を地面についてうなだれた。チャーリーは肩を竦めると彼女から離れ、放り出されたトンファーを片手で拾い上げる。それからもう一度好に近付くと、今度は座り込んでいる彼女を持ち上げた。前腕部に尻を乗せ、上半身を肩と頭にもたれさせるという、まるで子供のような抱き方だ。
「チャ、チャーリーさん。汗臭いからいいですよぉ」
「慣れている。帰るぞ」
言うが早いかチャーリーはさくさくと歩き出し宮へと向かう。行動を始めたチャーリーに修正する柔軟性がないことをよく理解している好はそれ以上抗うことはやめた。その代わりに、彼の首筋に腕を回し顔を埋めた。チャーリーは何も言わずにただ歩き続ける。
好の部屋に着き中に入ると、今度は別の問題にチャーリーは頭を悩ませた。
「好、いいかげん放せ」
「やーでーすー」
ベッドに腰を下ろさせたものの、好は頑固な酔っ払いのようにチャーリーの首を放そうとしない。そのため中腰を余儀なくされたチャーリーはこの5分間ずっとこの体勢だ。いつもなら好の方が力があるため不可能な力ずくも今なら可能であるが、それをやると余計面倒なことになるので選択肢には昇らない。
「いてくださいよぉ……」
もはや半べそ状態の好は幼い子供のような懇願をしてくる。ああ、これは完全に〝あの状態〟に入ってしまっている。チャーリーはため息をつき好の髪を乱暴にかき混ぜた。
「風呂に入ったらもう一度戻ってくるから、お前も風呂に入っていろ。そんな汗まみれのまま寝るつもりか? ほら、約束するから、放せ」
掴んでくる腕を軽く叩くと、好は沈黙し、もう少し待つと今度はおずおずと手を放してくる。
「……嘘ついたら私が行っちゃいますから。鍵かけたら扉壊しちゃいますから」
「その場合は一時管理権限持っているんだから壊すんじゃなくて空けて入って来い」
呆れたように軽口を返してから、チャーリーはもう一度好の頭を撫でて部屋を出て行った。
暗い廊下を、近くにある自分の部屋に向かって歩き出す。
「……謝が出かけるから来るかと思っていたが、本当に来たな。2年ぶりくらいか」
好は普段明るく社交的で、確かにブラコンだが謝がいなくては何も出来ない、という類の娘ではない。だが時々、本当に極たまに、謝がいない時に情緒不安定になり行動が極端になる。たとえばふらりといなくなったり、たとえば時間を忘れて体を動かし倒れたり、たとえば幼児返りをしてしまったり。その反応は実に様々だ。
幼い頃か続くそれに、同じく幼い頃から付き合ってきたのはいつもチャーリーだった。謝の次に一緒にいる時間の多かったチャーリーは、気がつくと彼女を探すのが上手くなり、彼女もチャーリーには謝に対するほど遠慮しないためこの関係は今も続いている。
今日はどれくらいで落ち着いてくれるか。徹夜を視野に入れつつ、チャーリーは自室へを入っていった。
シャワーを終わらせてすぐに廊下に出ると、ちょうど向かおうとした先から好が歩いてくる。濡れた髪をそのままにパジャマで歩いている姿はまるで夢遊病の患者のようだ。
「行くと言っただろう、ほら戻れ」
チャーリーが近付き肩に手をかけると、好はじっとその顔を見つめたかと思うと今度は胸に顔を埋めるように抱きついてきた。しかしチャーリーは即行でそれを引き剥がし予定通り好を部屋に押し戻す。「風邪を引いたらどうする」と怒りながら心配するのが実に彼らしい。
部屋に入ると、チャーリーはすぐに好の髪を乾かしにかかった。静かな部屋にドライヤーの音が響く間はチャーリーも好も何も言わず、それが止まると、チャーリーは好をベッドに転がし布団に包んだ。
「寝ろ」
短く言うと机の椅子をベッドの近くに引き寄せ、部屋の明かりを消してから改めてそこに腰を下ろした。
「おふとんはいらないんですか? かぜひいちゃいますよ?」
言葉はいつもよりも緩く拙い。チャーリーはすでに椅子の上で腕を組んで目を瞑っている。
「年頃の娘と同衾なんて出来るか」
「なにもしませんよぉ」
「それは本来男の台詞だ。いいから寝ろ」
「じゃあチャーリーさんも」
「かけ布だけ貰う。寝ろ」
「…………じゃあおてて」
闇に慣れた目が、不満そうに頬を膨らませる好のシルエットを捉えた。布がかすれる音と共に手が伸びてきたのを見て、チャーリーはそれをとり握り締める。
「これでいいな? もう寝ろ。俺もこれ以上は喋らないからな」
「……はぁい」
言葉通り一枚かけ布を貰い、チャーリーはそれで背中から身を包んで座り直した。その間も好はチャーリーの手を放さない。
それから好は言いつけ通り言葉を発せず、それでも縋るようにチャーリーの手を両手で掴んで額や頬に当てていた。彼女が完全に眠りに落ちたのはそれから30分ほど後のこと。出て行こうにもがっちりと手を掴まれているチャーリーは動くに動けず、結局その夜は好の部屋で明かすこととなってしまう。
翌朝、いつも通りに戻った好に平謝りされることになるのだが、それはまた別のお話である。
おしまい